人類の尊厳を守り、創造物の保全につとめましょう
兄弟のみなさんへ: 主が平和を与えて下さいますように!
復活祭は命の祭りです。復活は死と罪への勝利です。
復活、それは正義である復活したキリストを信じる私たちにとって言いしれぬ慶びであり、また死や憂い、悲惨さにうちひしがれているすべての人にとって希望でもあります。復活、それは国境なき連帯:男と女、兄弟と姉妹の絆、姉妹であり母である大地との絆です。(cf.CC 9)
2010年の復活祭にあたり、密接に結びつきのある二つの事について皆さんと分かちあいたいと思います。それは貧しさと被造物全体についてです。この二つのテーマはフランシスコ会の精神と似ていますし、今世紀の発展の第一と第七の目標とも共鳴します。また、平和の世界的パレードで、現教皇が人類と自然環境との『契約の更新』という表現で訴えたばかりのメッセージとも一致します。そのタイトルは『平和を促進するには自然を保護しましょう』でした。フランシスカンとして私たちはいつも人類と自然、自然環境を保持する必要性を考慮すべきです。
貧しき者としての立場から
近年ハイチで起きた地震による災害で、いたる所で目にした、愛する人たちとの死別、荒廃、悲惨さなどによる住民たちの苦しみを忘れてはなりません。また、古くはアジアで起きた津波による悲惨さがあります。自然災害による無数の人たちの死が私たちの心を打つならば、それ以上の数の兄弟たちが悲惨な状態のさなかで生きていることに心を奪われないわけはありません。
私たちは見聞きしたことを基に質問します。世界はどうしてこのようなことを放っておけるのでしょうか。たぶん私たちも含めた一部の人たちだけがのほほんと暮らし続け、他の人たちには現状を打開する手段も持たないで生きているのでしょうか。このような惨状を目にしても私たちの浪費社会はどうして無関心でいられるのでしょうか。信じられないことです。しかしその信じられないことが目前で起きているのです。悲惨さや飢餓が私たちの世界に恥ずかしげもなく現実として存在しているのです。男性や女性たちが、子供たちや老人たちが生き残るために必要な最低限のものを必要としているのです。ほんの少しのパン、コップ一杯の飲料水、単なる微熱で死なないための基本的な医療を。ハイチの地震でみたように人間以下の状態、毎日目にしている他の大陸での状況は人間の尊厳に対する攻撃です。最悪なのは、これらのことは皆に知られていることです。それは、少数の人の手に富が集中すること、一片の良心の呵責のない一局独占型の支配体制、腐敗政治、ほとんどの人の無関心さと無責任さ、が原因とだということです。
いくつかのデーターがあります:世界人口の40%に当たる28億人の人が飲料水の欠乏している地域に住んでいます。18億人は重大な欠乏状態です。10億人が飢餓の状態です。南半球の国々の人口の32%の人が1日1ドル以下で生活しています。1987年の世界中でのこのレベルの人たちは実際に12億から15億人に増えています。この傾向が続くならば2015年には19億人に達します。世界中で毎日2万8千人の子供たちが貧しさのゆえに死んでいます。世界の人口の20%の富裕層が地球上の富を85%専有し、反対に20%の貧困層が1.5%を共有しています。
このデーターを目にして私たち小さき兄弟として、またフランシスカン・ファミリーのメンバーとして無関心でいられるでしょうか。私たちは完全な自由意思で、この世で一番小さく、また一番さげすまれている者たちと結ばれるために貧しさを選んだのではなかったのではないでしょうか。ただ単に遺憾に思ったり、口先だけの批判をしたりするだけで、もしくは傍観しているだけなのではないでしょうか。これらの事実はもっともっと多くのことを私たちに求めています。貧しさや飢えで苦しんでいるこれらの人たちや、愛する家族を失って泣いている人々をキリストご自身と認めて、愛と奉仕の心をもって私たちがその側に居ることを要求しています。私達の同世代の社会が産み出した物質的、倫理的、精神的貧しさにこそ、キリストが現存しておられるのです。聖金曜日に私たちが聞いた十字架上のキリストの叫びは、これらの悪をあがなうためにご自分が担われたことを啓示しているのです。キリストからの私達への呼びかけ(召命)は今でも続いています。キリストがしたように私達も、愛のうちに自分の身を削ってこの世の痛みと罪を背負うように招かれているのです。キリストによって実現された救いのゆえに人類全体に福音を述べ伝える私達の使命を中止するわけにはいかないのです。とくに世界に蔓延しつつある貧しさから目をそらすわけにはいかないのです。ヨハネ・パウロ二世の奉献生活(Vita Consecrata)で「貧しい者の優先を、キリストに従って生きながら、あなたの愛のうちに刻み込みなさい。」とおっしゃったように、フランシスカンとして私たちは特別にそれを感じなければなりません。
この手紙を通じて私は、諸大陸の会員たちが最も必要としている貧しい人たちや絆から外された人々の痛みを和らげるように、彼らと等しく絆を保ちながら生きていこうとする努力を評価します。小さき兄弟の名に恥じないように、最も必要としている人達と結ばれている兄弟たちに感謝します。小さき者のうちでも最も小さき者である兄弟たちに感謝!
『教会の社会教説綱要』は述べています。「純粋な消費主義的理論は排除されるべきです」と。綱要はまた、地球上のすべての住人を一つにする相互依存の精神を刷新するように招いています。私達が目の当たりにしている何億人もの住人たちを経済危機の中で欠乏や貧困に陥れている現実は、苦しんでいる人たちとの深い連帯感を構築するように、このような状態の中で苦しんでいる人たちと苦しみを良心的に共有するように、消費主義、浪費主義にどっぷりつかっている私達の生活スタイルを変えることで、私たちが個人的にも共同体としても謙虚にそして修道的になるように、人間的な共同体をいたく傷つけている頑固なわがままや自分のこと以外に興味を示さない無関心さを克服するように要求しているのです。小さな者のうちで最も小さな者であるという条件から、この現実に関係するように問われているのです。さらに福音でこの現実を照らし、人類全体が社会的にもふさわしい生活を得るために、すべての父である神が命をそして品位ある生活を守っていることを思い出させるために、私たちがそれに参与するように要求しているのです。
私は修道会のすべてのグループがこの状況について反省するようにお願いします。同時に私達を最も必要としている人たちと連帯していることを示すために各自がその能力に応じて具体的な決断をするようにお願いします。総本部に連帯基金『聖フランシスコ』があります。有志によって支えられ、今回のハイチのように本会の内外の必要に供せられます。福音でイエスが言われた「これらの最も小さな者にしたことはすべからく私にしたことである」をいつも思いだしましょう。
創造物の保全
ベネディクト16世が訴えたテーマのうちに私達の地球の危機的状態と被造物を保護することそして環境保護があります。今日、貧困と飢餓の問題が私達の惑星をどう扱うかという問題とからめて認識されたことはかつてない程です。
食糧のための森林破壊と自然破壊、制御なき工業化、他の分野を無視した無計画な技術革新、これらが地球の有機的均衡を破壊しています。特殊化した環境にあってはすでに、地球虐殺という恐ろしい言葉が出回っています。もし今直に手をうたなければ人類はこんなかたちで<共通の住み家>を取り換えているのです。だんだん食糧を調達するのが難しくなるし、飲料水や下水施設の不備などによる病気が蔓延するし、強制移住や避難民の増加、地権に絡む武力闘争などますます激しくなります。
この自然破壊の過程で一番の犠牲者は貧しい人たちです。実に『国際警鐘』の統計によれば、今日、南半球の46の国の総計27億人の人口が気候変動の結果、経済的‐社会的‐政治的問題が故に戦争勃発の危機に面しています。
兄弟姉妹のみなさん、この統計を前にして私たちは驚きます。環境保護について私達の生き方を変えなければなりません。小さなことから始めましょう。始まってしまった被造物を汚染し破壊する道が個人的な対処法では変える事ができないかもしれません。現状を変えようとする私達の努力が長く続かないかもしれませんが、統計に表れている創造物の破壊によって引き起こされた惨状に対する私達からの具体的な答えでもあるのです。
私達の会憲にも創造物の保全について会としての懸念がもられています。第71条はこれについて明白に述べています。姉妹なる大地に対する尊敬の念は、人間活動による破壊に対して中立な立場を取らせません。会憲が私達に望むように、創造物に対して兄弟として関わり、すべての人の益とならせるといことは、できる限り状況を調べ、現状を直視することも含まれています。すなわち倫理的責任から創造物を保護し責任をとることを意味します。またフランシスコがそうであったように、創造主の素晴らしい傑作に心酔し、創造の御業に命と愛に参与することも含まれています。フランシスカンとしての観点から創造の御業は搾取の道具としてではなく純粋に感嘆するべきものなのです。信仰をもつ者、フランシスカンにとって創造の御業は創造主の≪しるし≫であり≪秘跡≫でもあるのです。
兄弟姉妹のみなさん、創造物の保全はさらに自然を丁寧に質素に扱うこと、日常的に小さな物に無駄や浪費しない生き方を覚えることを要求します。もし現在の消費主義が、生活スタイルを変え、物、人、有価物、時間、表像等のすべてを飲み込む飽くなき飢え渇きに変わっているなら、自由と責任のある形での生活に変えることが急務です。≪フランシスカン的修行生活は完全な喜びの結果です。喜んでいる人は活きています。活きている人は分かち合います。分かち合う人は創造主に正義を行い、全創造物に対して礼を尽くしています≫。
各フランシスカン共同体は、自然環境についてフランシスコの精神をどのように生きているかを反省するように私は提議します。また各共同体は4月22日の地球の日、6月5日の世界環境保護に日を記念するように提案します。他の兄弟たちとの強い結び付きのうちに創造物への気配りに責任を持とうという認識を新たにしましょう。
親愛なる兄弟姉妹の皆さん、主のご復活です。私達の墓からも出ましょう。そして復活したキリストに力づけられ全世界に福音を述べ伝えましょう。ご復活です。≪人類におん父の似姿を伝えるためにイエスは単に人の姿をとったのではありません。罪の似姿をも含めてとられたのです≫。人間の生活や創造物との関係において生じた悪と罪に対抗して闘いましょう。こうして、私達は人類と創造物と私たち自身をも救うのです。
主の復活です。喜びましょう。主を讃えましょう。主の復活です。キリストは復活したのです。アレルヤ、アレルヤ!
汝らの兄弟で僕である
ホセ・ロドリゲス・カルバッリョ
2010年3月19日、ローマにて
聖ヨゼフの祭日に
Prot. 100652