東日本大震災関係ボランティア報告 5月24日

各地のサポートセンターを訪問して思ったこと(3)
                                                                                                   報告者 佐藤宝倉

これは「こぼれ話」くらいに聞いていただきたいことだが、サポートセンターが置かれている教会は3・11を悪条件の元で受け入れねばならなかったのである。ある教会の司祭は、退院して間もなかった。ある教会の司祭は、内陸側のもうひとつの教会に居住しながら海岸線の教会に通っていたので、当日は不在。2日後に瓦礫の中を老体にもかかわらず杖を突きながら被災した教会にたどり着いた。またある司祭は、休暇で不在中であった。またある教会では、司祭が急いで教会に戻ろうとして向かったが、たどり着かずその内持病が悪化、死亡するというケースもあった。信徒と司祭が一丸となって支援体制を整えるということは難しかったが、そういう悪条件の中にあっても、信徒・司祭・教区が立ち上がって支援センターを立ち上げることができた。

翻って見ると、そういう現地信徒もまた一人の被災者であった。2ヶ月間、小さな教会の空間をボランティアと信徒が共有してきたが、今一度、教会の再生は、地元教会が自らの使命を自覚することに始まるということを確認しなければならないのではないか。ボランティアを受け入れる十分な空間を持つある教会では、すでに活発に信徒自身がベースの中心となっているが、小規模で高齢化している他の教会では、通常の教会活動と被災にから立ち上がるための分かち合いをする空間をボランティア受け入れに譲っている感がある。地元の教会がサポートセンターと共に再生していくためには、自らの使命を発見してことが必要であり、そうできる場所を取り戻していくことが必要であろう。私の一面的な見方であるが、地元教会が「地元とボランティアの仲介」という作業を自らの使命としていただくことによって「よそ者」がぶち当たっている壁を乗り切ることができるのではないだろうか。実際それは始まりつつある。

私が述べている意見は、決してボランティをないがしろにするということではない。小さな教会であるがゆえに、たくさんの人を収容しきれないということだけのことである。十分なスペースがある教会に設置されたベースは別にして、教会共同体とボランティアが協力して、その必要がなくなるまで十全にボランティア活動が続けられるようなベースつくりが求められているのではないか。どこにその空間を確保していくか、今後の課題である。と同時に、長期にわたる地元信徒(又はそれに代わる人:他教区からの信徒、又は地元未受洗者)を教会共同体とボランティアをつなぐコーディネーター或いは地元とボランティアをつなぐコーディネーターとして雇用することも長期化するボランティア活動を円滑円満に進めていくひとつの方策となるであろう。

以上私の私見を述べたが、会員の皆様にはぜひ一日でも現地を訪れていただきたいと思う。私は6月12日まで石巻カトリック教会にいる。

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