東日本大震災関係ボランティア報告 5月24日

各地のサポートセンターを訪問して思ったこと(1)
報告者 佐藤宝倉

image大震災後2ヶ月が経過した今、私は、仙台教区サポートセンター(塩釜を除く)と札幌教区が担当する宮古教会の中にあるサポートセンターを訪問することにした。国道45線は三陸道や迂回路を通して北上できる状態になっている。先ずは私がいる石巻教会の隣り、気仙沼教会を訪れた。次に釜石教会、宮古教会を訪問し、日が変わった5月19日には、米川教会を訪問した。道すがら、完全に破壊されたリアス式海岸沿いの町々村々を見た。それはどこもかしこも同じ被害状態であった。数百キロに渡る海岸に街が形成されており、急な山々が迫り来る海岸平野部に勢い人々は住み、漁業などにいそしむことが生業であった。それらの地の大半が皆無と化したのである。じっとその場に立っていると居たたまれなくなって、ただ祈るのみであった。「わが神よ、わが神よ、なぜ私を見捨てられたのか」と。次第に、「反省」と「意義付け」の瞑想が頭を駆け巡る。だが、被災者の痛みは、現実そのものであり、その人々の声に「傾聴」する作業が始まりつつある。

年老いて独り身で、処理しきれない家の中のドロ掻きと掃除を社会福祉協議会に依頼せざるを得ず、初対面のときは、「よそ」から来た「ドロ掻きボランティ」に警戒心を抱きながらも、愛着ある家財道具の廃棄や衣類に涙し、飲み物やお菓子を出してお茶を飲みながら一緒に食べていくうちに対話が生まれる。「愛犬に代わって自分が死ねばよかった。もう二度と犬を飼わない」と涙する老婆に傾聴しながらも、優しく諭し、「また犬を飼おうね」と声をかけていくボランティアたち。ヘドロの臭さもいつしか忘れさられ、2ヶ月ぶりに人とかわした会話のぬくもりに涙が自然と頬を伝う。ボランティアがベースに戻って毎日する反省と分かち合い際には、そんなキラキラ輝く話が一人ひとりの心の宝石箱から出てくる。被災者のみならず、ボランティアも人間として「再生」していく瞬間である。他の作業の合間に、ベース長は、そのおばあちゃんを知っている女性たちを毎日訪問するようにスケジュールを組み変える。そして数日後の日曜日、おばあちゃんは誰もいない幼稚園の留守番電話に約20分間繰り返し「裏の物置の掃除もお願いできないかい?」と語っていた。つながりがお互いの信頼に生まれ変わりつつ今である。

しかしながら、大きな市や町では、だいぶ道路わきの瓦礫などが整理されつつあるが、小さな入り江にある村々まで整備されるまでにはまだ時間がかかる。まして、個人財産である家や家財の整理の場合、家族や友人の手助けをすぐ得られる人は、すぐ掃除に取り掛かるだろうが、老人が極めて多いこの地域の現状を考える時、この作業はまだまだ続けられねばならない。 続きはこちら

TOP