東日本大震災報告 - 断片的体験報告(3)

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報告者 佐藤宝倉

ある難聴者は、一瞬にして失った両親の墓前(仮埋葬の地)でぽつりと私にこう言った。「地震と津波の時、私は、両親のことを全く考えなかった。必死になって逃げた」と。「みんな同じだよ。自分を守るのが当然。後になって、両親を助けること

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ができなかったことを自分のせいにして、自分を責める必要はないんだよ」と言ってあげた。祈りが大好きな彼女と涙声になるのをこらえながらロザリオを唱えた。

彼女のご両親は、電車と数々の車が流され、まるで人々が車に乗って田植えをしたかと思われるような錯覚に襲われるそんな田んぼの中で翌日発見された。何千人という行方不明者と身元確認ができない人がいる中で、せめてもの幸いである。彼女が居住している市の火葬場には、釜が二つしかなく、まだ火葬の順番待ちをしている。両親を失って一人きりになった彼女だが、3年前に洗礼を受けて知った「祈る」体験が彼女の支柱となっている。

普段教会に来ていない人には、なかなか声をかけにくいのが普通である。それが外国人となれば、なおさらのことである。被災後信徒たちは、週に一度教会に集って被災者のこと、行く不明者のこと、流された家のclip_image004こと等々を分かち合ったという。きっと、お互いに電話を掛け合ったり、訪ねて行ったりしたに違いない。そして教会で再会して喜び合ったに違いない。ところで、誰かが訪問してくれる、誰かが「元気ですか」と電話をくれる、そんな心優しい一報を待っているのは、さまざまな理由があって「普段教会に来ていない人たち」も同じではないだろうか。「外国人」だって同じではないだろうか。こんな時だからこそ、皆さん心を開いて「待って」おられるのではないだろうか。結婚して日本に来たフィリピン人に声をかけてみた。20名を超える人が集まった。泣き笑いしながら夕方まで教会で一日を過ごして帰っていった。

私が英語に詰まっていると、「神父さん、私たち日本語分かるよ」と助け舟を出してくれる彼女たち、子供の日本名を聞くと、漢字で書いてくれるのである。筆順は、めちゃくちゃ。言語と文化習慣がまったく異なる日本に来てがむしゃらにそしてひたむきに日本の文化に合わせようとする彼女たちの生き様がその筆順に現れていると言えるのではないだろうか。

外国の教会から日本の教会へと正式に入籍するのが本当だろう。しかし、いろいろな事情があって、そういかない人々もいる。日本の教会にも「お休み」している信徒はたくさん居るのではないだろうか。「お休み」している信徒には、それぞれの事情を汲んで関わると思うが、外国の人に対しても相手の言語や文化を尊重する関わり方が、日本の教会の側からあってもいいのではないだろうか。私たちの教会の信徒名簿に誰が登場し、誰が登場していないかを考えてみたい。 続きはこちら

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