聖クララ会創立800年祭

二つの名前、二つの現象、二つの伝記:フランチェスコとキアラ

貧しいクララ会創立800年祭(1/4)   日本語版PDFファイル

親愛なる貧しいクララ会の皆さん
主が皆さんに平和をくださいますように

image 4月16日に、全世界におられる聖キアラの娘たちとの交わりのうちに、私はアッシジのキアラの回心と貧しいクララ会の創立800年祭をアッシジで荘厳に祝いました。このお祝いは、アッシジ司教ドメニコ・ソッレンティーノ猊下の司式のもと、サン・ルフィーノ大聖堂で行われた受難の主日の第一晩課から始まりました。この後、ポルチウンクラのサンタ・マリア・デッリ・アンジェリまで巡礼が行われました。そこは、「家、町そして家族」から逃れた若いキアラが「マリアの祭壇の前で主に自らをささげるために逃れた場所でした(cf. LegCl 8)。そこで、彼女は、フランチェスコが彼女に与え、後に教皇インノケンティウス4世が貧しいクララ会の「会律」を承認したとき、彼により祝福された「生活様式」を受け取りました。フランシスコ会の兄弟、男女の修道者、同様に信徒たちの多くが参加したこの巡礼は、貧しいキアラたちの大事な場所、キアラの生涯の「目的」を示している場所で立ち止まりました。これらの場所はアッシジのキアラ大聖堂にある修道院とサン・キリコとサンタ・コレッタの二つの修道院です。

これは本当に心が高まる時でした。このお祝いが、キアラの奉献、すなわちフランチェスコ自身により彼女の髪が切られ、そして貧しいクララの会が作られたことを思い起こさせてくれたからです。アッシジからサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ間での夜中の巡礼により心が高まりました。この巡礼はキアラの生涯や著作から取られた歌やテキストの朗読により霊感を注がれました。ポルチウンクラはたいまつの光で照らされ、人々はそこに長くとどまりました。「いつくしみ深い母が小さき兄弟会と貧しいクララ会を生み出した」(cf. LegCl 8)場所ですから。

このため、ポルチウンクラで、フランチェスコに聖なる福音の道に従った生活を霊感をもって示し(cf. TestCl 5)、そしていつもそしていつまでも御父に自分の「精神、心そして魂」(IIICl 20)を引きつけるように「人々の中でもっとも美しい方」(IICl 20)により魅了されたキアラに呼びかけた「いつくしみ深い父」(cf. TestCl 2)に私は感謝いたします。同時に、私は数多くの貧しいクララ会士たちのために神に感謝をささげます。彼女たちは800年の歴史の中で、アッシジのキアラによって生き抜かれ、そして示された「生活様式」に従ってキリストに従ったからです。このようにして、教皇アレクサンデル4世の預言は成就し、このスポレトの谷の「新しい女性」のカリスマを「この木は、教会の畑に信心の甘美な実をもたらした枝の沢山伸び広がっている、気高い、大きく生い茂った木だった」(「聖キアラの列聖大勅書」31)と書きました。実際、キアラの死の時、イタリアには115の修道院、イタリア以外の地では50の修道院がありました。14世紀の初めには413の修道院がありました。今日、全世界の修道院は1000を数え、おおよそ15,000人の姉妹たちがいます。みな「フランチェスコの小さな苗木」から生まれたのです。つづき

 

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